しゃかログ

仏教って何だろう?という小さな疑問を持った仏教系大学生が発信する、日常のプチ発見をおすそわけするブログ。

老人ホームでの法話 

みなさん、こんにちは!少し日が開いてしまいましたが、久々の更新です!

今日は、老人ホームでの大学生による法話活動をさせていただきました!そこで感じたこと、経験したことを書き留めたいと思います。

仏教への期待値は、お年寄りはかなり大きい

今回足を運んでくださった方々のお話をすこしお伺いいたしますと、お寺にいるとおちつく、昔はよく連れられてお寺にお参りにきた、仏教のお話を聞いてみたいなど、非常に仏教に対して前向きに考えて仏教の話をきいてみよう!という方々が多かったことに驚きました。今回法話させていただいた老人ホームはキリスト系の施設でしたが、入所者の中には仏教がいいという方もおおく、かつてはお坊さんを招いての法話会もおこなっていたそうです。

 

やはり、日本に昔から根付き、見守ってきた仏教というものの存在感は大きく、法を説き続けた僧侶たちには頭が上がらない思いです。

自分にもできること、伝えれることを考えると、まずは大学で学んでいることをおすそわけすることからお話を始めさせていただきました。

お釈迦様のご生涯からはじまり、入滅、チュンダの供養のお話ののち、思いやりの大切さ、人の過失より自分のことを見るというお釈迦様の説かれたことを説法させていただきました。

 

しかし、それだけでは足りないむずかしさ

しかし、説法で何よりも大切なのは自分のことば、自分の経験や感じたことを仏教と絡めて話すことこそ、その人の個性が出て聞いていて面白いと思う点ではないでしょうか。

今回私は、そこが一番難しく、法話の質を上げるために大切なことだと感じました。また、選ぶキーワードにも気を使わなくてはいけないことにも気が付きました。

 

最もデリケートかつ、気になるキーワードは、死についてだと思いました。「もう先が短いから・・・」と語ってくださったおばあさんに、私はそうですよねー、でも私もいつお迎えがくるかわかりませんからねーくらいしか、返すことができませんでした。

 

そこで、どう返したらありがたく、あー、なるほどと納得していただけるか、人間としての質が問われていると感じました。

 

そこで、家に帰ってから考えてみましたら、お釈迦様は死は避けられないということを説かれていると話の中で言ったのだから、それをうやむやにせず、じゃあどうするか?ということを話せばよかったのでは?と思いました。

例えば、「お迎えは必ずいつか来るから、その時まで楽しく暮らそうよ」の一言だけでも言えたらよかったのではないか?など、反省点をみつけていくことこそが大事だなと思っています。

 

今後の課題

一回目より二回目、二回目より三回目と、どんどん磨きをかけていくために一日の内容に満足せず、常に反省することが必要だと気付いたので、しっかりと取り組んでいきたいです。

また、何よりも大切なのは、来てくださった方々や、声をかけてくださり支援してくださったホームの方々など、様々な人の力でこのように学ぶ機会をいただいたことに感謝することでしょう。

感謝とともに、このご縁を大切にしていきたいと思います。

合掌

 

気のはなし、元気な毎日のあり方 心と体は表裏一体

こんにちは!

今日は、「気」について思ったことを書いていこうと思います。

実は今日、整体で全身のコリをほぐしてもらったのですが、中国の整体なんかは気という考え方を大事にしているそうです。

私は気功などに詳しいわけではありませんが、少し自分の考えを書いていこうと思います!

健全な身体は、健全な心に宿る

最近強く思うことなのですが、心と体は表裏一体のものであると思います。心が不調だと体が不調になり、体が不調だと心が不調になるでしょう。

 

かぜなどで体を壊すと、心まで病んでしまい、悪循環が起こってしまいます。また、心にストレスなどを溜め込んでしまうと体をさまざまな形で蝕んでいってしまいます。

病は気からと書いて病気と読むように、メンタル面でのダメージは目に見えませんが、確実に体にダメージを与えてしまいます。一番厄介なのはそれに気づかないことではないでしょうか?

 

これは自分の体験談ですが、心が弱っていると感じるとき、ほとんど体にも不調が現れてきます。頭痛がしたり、動悸がしたり、疲れが何日も、寝てもさめても抜けなかったり。

もっとひどくなると、かぜをひいたり、普段かからない病気にかかったりして大変なことになることもあります。

 

ストレスは体の免疫力を下げ、心身ともにダメージを与える、甘く見てはいけない存在なのです。「健全な心は、健全な身体に宿る」という言葉がありますが、その逆も然りでありましょう。

 

一度、こころをスイッチオフ

現代では、ストレスの元は考えるだけでいくつも思い当たります。それが積み重なると、何に追われているのかわからないけどなんかしんどい、という最悪な状態に陥ってしまいます。

こうなってしまうと、常によくわからないものストレスのことで頭がいっぱいになってしまい、ずっと心がストレスによる刺激を受け続けてしまいます。

 

そうなってしまったら、一度心を休めるべきです。学校のこと、仕事のこと、人間関係のこと。考えるだけでも大変です。ですが、家に帰って自分だけのリラックスできるほんのわずかな時間でも、一度こころのスイッチを切ってみませんか?

 

この時間だけは、何も問題は起こらないし、怒られることもない。そう思える時間を作ることが案外リラックスできるものです。

 

あえて、スイッチを切るということが重要で、心をケータイにたとえるならば、こうしないと心はずっと待ち受け画面のままのような状態になってしまうでしょう。これでは、電話がきたら鳴ってしまいますし、電池も早く減っていきます。

一度、スイッチを落としてみましょう。そうすれば、うんざりする電話もなりませんから、静かなものです。ここでの電話とは、外部からの刺激、ストレスのことです。

 

こころのスイッチを切ったら、後は自分だけの世界で静かにすごすこと、これが一番大事です。

 

こころのスイッチはどこにある?

これは、人によってさまざまでしょう。ですから、自分の心に聞いてみるのも手です。

たとえば、瞑想したり、ゲームに集中したり、読書をしたり。

自分のことだけ考えることができるのなら、私は何でもいいと思います。

 

最近は、マインドフルネスが非常に流行しています。また、仏教が古来より研究してきた瞑想法なども長年の人の精神の研究の成果といえるでしょう。

これらの手段の何がいいか?と聞かれたら、私は「何でもいい」といわれても何したらいいかわからなくても、マニュアルがあることにより先人たちの方法を学び、誰でも実践できることにあると思います。

 

もちろん、自分自身で心を安定させることができるならばそれでよいと思いますが、わからなければとりあえずこれをやってみたら?という方法のひとつとして取り入れてみるのもひとつの手ではないでしょうか。それで合えば続ければいいですし、合わなければ何故合わないかを考えれば、自分なりの方法が見つかってくると思います。

 

こころとからだを正してエネルギッシュに

気とは、身体を流れている目に見えないエネルギーです。その流れが悪くなると身体は不調を起こしてしまいます。逆に身体が不調だと、流れが悪くなることもあります。

 

身体の不調、心の不調に気づき、ひとつずつ改善していくことが元気になるポイントではないでしょうか?

 

・・・いちばん改善しなきゃいけないのは私かもしれません(笑)

これだけ書いたのだから、自分自身も取り組んでみることにします!

 

 

 

 

心が折れたとき、自信がないときに考えるべきこと

こんにちは!二回目からなんてことを書いてるんだ、と思われる方もいるかもしれませんが・・・今回は自分が今日考えさせられたことについて教わったこと、喝を入れていただいたことについて書いてみようと思います。

 

人間、成長しきっていないのにやればできると考えるのは早計

「やればできる」という言葉がありますが、この言葉、不完全なものではないかと思うのです。「やればできる」「自分は実はこんなに考えていて、やるためのプランを常に練っている」などと、私は心の中でどこか根拠のない慢心が渦巻いていました。

 

ですが、実際うまくいかなかった。自分は思いつくこと、やれることをフルでやったはずなのに、上からまだまだだ、できないならやりたいと言うな、もうやめちまえといわれてしまう。

 

最初は当然、自分はこんなにやっているのに、できることを全力でやっているはずなのにここまで言う必要はないだろ?と思うわけです。

 

はてさて、何故私は失敗したのか?それは、振り返れば慢心が根源というわけです。「やればできる」でやれる範囲は上限があって、それ以上のことは成長が足りないので全力を出していても至らない、届かないところがあるわけです。

 

先輩がなぜ偉いのか?それは経験値の差が出てくるから

自分は、もともと年齢による上下関係が大嫌いな人間でした。たかだか年が1個や2個ばかり上なだけで、天と地にも等しい上下関係が生まれる。そういうことが理不尽でたまりませんでした。

 

中学校まではスポーツもやっていなかった私は、そんな上下関係から逃げるようにすごしていました。それから私は寮のある高校に進学したのですが、そこでの上下関係の凄まじさに嫌悪感と理不尽さを感じていました。

 

では、何がそんなにえらいのか?ということになるわけです。実際、威張っているだけでたいしたことない人もいるわけですが、そういう人間は論外です。

そんな中で、さまざまな先輩に出会っていく中で、この人ならという人は何人かいましたが、その人の経験などに尊敬の念が沸いてきました。

 

自分よりすごいなと思う人間のことは無条件に受け入れておけ

仕事をしていく中で私も一定の立場になり責任を負うようになると、いろいろ指摘を受けていきます。その中でなんだこいつ、と思うようになっていくようになると、その瞬間慢心が生まれてきます。

 

自分が他人をすごいな、とおもうはずなのにどこか弛んだ心が自分が偉くなったような錯覚を起こしてしまう。そうすると、大きなしっぺ返しを食らうというわけです。

 

自分がなぜ偉くなったと勘違いするのか。それは、「やればできる」と思う根拠のない妙な自信ということです。

 

全力でがんばっている自分に対して慢心する、じつはそれは自分の中での上限であり、世の中もっとすごい人は星の数ほどいるというのに、自分も全力でやっているからいつの間にか同じ次元に立っているのだ!という妙な安心感を得てしまうということです。

 

つまり、自分よりすごいなと感じている人たちは自分とは比べようがないレベルの高さにいるのです。そもそも、比べることが間違っているほどに。

 

だから、そういう人の忠告は無条件に聞き入れておけ、ということを今日私は言われました。決して卑屈になるわけではないですが、自分は成長しきっていない、上限が低いから全力を出しても小さな結果しか生み出せないことに気づくべきでした。

 

では、どうやって上限を伸ばすか?

それは、心を折られたらまた立ち上がる、自信がなければ行動して少しのことから初めてこつこつ実績を重ねるしかないと思います。

 

それが、全力を出したときの上限を伸ばす、つまりこれが成長ということではないか、という結論に至りました。

 

 全力を出すのはもちろん当然です。でも、それは人によってできることに差があるのは当たり前、できないことがあることは当たり前です。そのことをまず自覚することが大切ではないか?と気づきました。

 

心が折れたら、少し休んでまた歩き出す。できないことがあれば、できることからはじめていく。

そうしていけば、おのずと折れないしなやかな心と、さまざまなことを実行できるような人になれるのではないか?と思いました。

 

努力を続ける、そして自分を信じる。

簡単な言葉ですが、難しいことです。

ですが、それによって人は成長できるのではないか?

大丈夫、まだまだ成長できるはず。「やればできる」ではなく「まずやってみる」から入ることができれば、の話ですが。

 

最後に、仏典からの引用で締めようと思います。

「犀の角のようにただ一人歩め」

『スッタニパータ』

はじめての投稿、はじめてのブログ

はじめまして!

今回、なんとなくの思いつきでブログをはじめてみました。このブログでは、私が感じたこと、思ったことを日記のようにつらつらと書いていくものにするつもりです。

簡単な自己紹介

私は、都内の大学で仏教を学ぶ学生です。仏教を勉強しながら、それでなにかいろんなことができないか?ということを思い、アイデアを模索中です。

このブログは、私の今日思ったことを書きとめ、それを読んでもらおうと思い始めました。何気ない日常のなかに実は、仏教と絡めることができることがあったり、小さな発見が隠れていたりするものです。そんなことを、皆さんにおすそわけできたらいいなと思っています。

まだまだ不勉強なところがありますので、コメントでご教授いただければ勉強になります!

今後の目標

このブログをさまざまな人にとって、少しでも面白く、へぇーと思ってもらえるブログにしていきたいと思います!

私はわりと、雑学なんかも大好きなので、その知識をお持ち帰りいただけたらと思ってもいます。

そして何よりも、お釈迦様の仏教に興味を持っていただけたらと思っています。宗教離れが加速する今、少しでも仏教について知っていただけたらな、との思いでこのブログを執筆することにしました。

 

つたないブログですが、どうぞよろしくお願いします!